全員に好かれようとして、誰にも刺さらなかった
正直に言う。
SNS発信を始めた頃の私は、「できるだけ多くの人に好かれたい」と思っていた。
尖ったことを言えば反感を買うかもしれない。個人的な意見を出せば否定されるかもしれない。だから、当たり障りのないことを書いた。みんなが「そうだよね」と思えるような、誰も傷つけない、誰も驚かせない発信を続けた。
結果は?
誰にも刺さらなかった。「いいね」はポチっと押されるだけで、誰も止まらない。誰も「この人の話をもっと聞きたい」とは思わない。ただ流れていくだけのコンテンツ。
『嫌われる勇気』の核心——「課題の分離」とは何か
そんなときに読んだのが、岸見一郎・古賀史健著の『嫌われる勇気』だ。アドラー心理学をベースにした本で、私の発信観をガラッと変えたのが「課題の分離」という考え方だった。
「これは誰の課題か?」を分けて考える。
自分でコントロールできることと、できないことを区別する。たとえば、「相手が自分を好きになるかどうか」は、相手の課題だ。自分にはコントロールできない。でも多くの人は、この「相手の課題」に必死に手を突っ込もうとする。
好かれるように振る舞う。嫌われないように言葉を選ぶ。アドラーはそれを「他者の課題に介入している」と言う。
SNS発信に当てはめると
自分の課題は何か? → 自分が信じることを、誠実に、丁寧に発信すること。
相手の課題は何か? → その発信を読んで、「好き」と思うか「嫌い」と思うか。フォローするかしないか。
なのに私は、「嫌われないように」「全員に刺さるように」と、相手の課題にずかずかと介入していた。その結果、自分の課題——「誠実に発信する」——がおざなりになっていた。
自分がコントロールできないことに必死になって、自分がコントロールできることをサボっていた。それが、誰にも刺さらない発信を生み出していた原因だったのだ。
「嫌われてもいい」と決めたら発信が変わった
課題の分離を理解してから、発信のスタンスを変えた。「この発信で嫌われるかもしれない」と思ったとき、以前は手を止めていた。でも今は、こう問い直す。
——それは誰の課題だ?
嫌うかどうかは、相手が決めること。私の課題ではない。
そう決めてから、製造業の採用支援をしている私は「社長がSNSをやらないのは機会損失だ」とはっきり書くようになった。以前なら「人によりますよね」と濁していた部分を、自分の言葉でまっすぐに伝えるようにした。
すると、反応が変わった。「まさにそれで悩んでいます」というDMが来た。「この人の言っていることは腑に落ちる」と言ってくれる人が現れた。全員には届かない。でも、届く人には深く届くようになった。
嫌われることで「本当のファン」だけが残る仕組み
当たり障りのない発信は、振れ幅がゼロだ。反対する人も生まれないが、深く共感する人も生まれない。
嫌われることを恐れない発信は、振れ幅が大きい。批判する人も出てくる。でもその分、「この人のことをもっと知りたい」と思うファンも生まれる。
嫌われることは、篩(ふるい)にかけることだ。残った人が、本当の仲間だ。
発信の軸は「全員への配慮」じゃなく「誰か一人への誠実さ」
「全員に届けようとするな。誰か一人に誠実であれ。」
これが、今の私の発信の軸だ。
発信するとき、私は「この悩みを抱えている、あの社長」を思い浮かべる。採用に困っている、でもSNSをどう使えばいいかわからない、岐阜や愛知の製造業の中小企業の社長。そういう、具体的な一人の顔を思い浮かべて書く。
アドラーはこう言う。「他者の期待を満たすために生きてはいけない」と。SNS発信も同じだ。フォロワーの期待に応えるために発信するのをやめたとき、初めて本当の発信が始まる。
嫌われる勇気を持った発信が、本当のファンを引き寄せる。私はそれを、一冊の本と自分の失敗から学んだ。


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