なぜ人は悪いニュースに群がるのか?SNSの本質と、私が目指す使い方

SNSの考え方

あの事件を見て、ふと思ったこと

少し前、あるニュースがSNSを駆け巡った。

詳細はあえて書かない。でも、あの事件をきっかけに、SNS上では憶測や噂が嵐のように飛び交った。「犯人は◯◯だ」「いや、実は◯◯が原因らしい」「関係者の知人の知人から聞いたんだけど…」——確認もされていない情報が、まるでリレーのように次の人へ、また次の人へと渡されていく。

それを眺めながら、私はふと思った。

なぜ人は、自分にはまったく関係のない話を、こんなにも話したがるのだろうか?

責めているわけじゃない。私自身も、気づけばスクロールの手が止まっていたから。


人が「悪いニュース」に引き寄せられる理由

これ、実は人間の本能に深く関わっている話らしい。

太古の昔、人間は常に危険と隣り合わせで生きていた。猛獣がいる、あの川は危ない、あの食べ物は毒だ——「悪い情報」を素早くキャッチして共有することが、文字通り「生き残ること」に直結していた。だから私たちの脳は、良い情報よりも悪い情報に、より強く反応するようにできている。これを心理学では「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶ。

でも、それだけじゃない気がする。

噂話って、コミュニティをつなぐ機能も持っているんだと思う。「ねえ、知ってる?」から始まる会話は、情報の共有であると同時に、「私たちは同じ側にいる」という仲間意識の確認でもある。時代の話題についていけること、輪の中にいること——それ自体が、社会的な生き物である人間にとって安心感につながるのかもしれない。

だから、悪いニュースに群がる人を「野次馬根性がある」と一言で切り捨てるのは、ちょっと違うと私は思っている。それは人間が長い歴史の中で培ってきた、ある種の生存戦略なのだ。


SNSは、その本能を加速させた

問題は、SNSがその本能を巧みに利用していることだ。

テレビのニュースを思い浮かべてほしい。殺人、強盗、詐欺、窃盗、芸能人のゴシップ——悪いニュースが全体の8割近くを占めていると言われる。「そんな暗いニュースばかり見て、幸せになれるの?」と思いつつ、気づけばチャンネルを変えられない。あの感覚、みんな経験あるんじゃないだろうか。

SNSはそれをさらに進化させた。

過激なコンテンツ、炎上案件、センセーショナルな見出し——これらは圧倒的に「数字」が取れる。アルゴリズムは刺激の強い投稿を優遇し、穏やかで誠実なコンテンツは埋もれていく。「再生回数を稼ぐためなら何でもあり」という空気が、どんどん強くなっている気がする。

私はSNSの仕事をしているから、この現実をよく知っている。「バズらせるなら炎上を絡めるといい」「過激なコンテンツのほうがインプレッションが伸びる」——そういう手法があることは知っている。

でも、ずっと引っかかっているんだ。果たして、それって本当にいいことなのか?


SNSって、もともと何のために生まれたんだっけ

Facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグが最初にSNSを作ったとき、その目的はシンプルだった。学生同士が友人を見つけ、好きな人を探し、コミュニティを活性化させるため。人と人がつながり、互いを知り、温かい関係を築くための道具だった。

それが今や、どうなっているか。

憎悪、嫌悪、妬み、怨み——SNSはネガティブな感情を増幅させる装置になってしまっている、という研究結果も多く出ている。比較によって自己肯定感が下がり、他人の批判で承認欲求を満たし、怒りでつながる。「つながり」のはずが、孤独を深めることすらある。

ザッカーバーグが最初に描いた世界とは、かなり遠くに来てしまった気がする。


道具は、使い方次第——関市の刃物に学ぶ

私は岐阜県関市の出身だ。関市は全国有数の刃物の産地で、包丁やハサミ、ナイフの名産地として知られている。

刃物って面白くて、使い方次第でまったく違うものになる。

同じ刃物でも、料理人の手に渡れば「美味しいご飯を作る道具」になる。だが、使い方を誤れば「人を悲しませる道具」にもなってしまう。刃物そのものに罪があるわけじゃない。どんな目的で、どんな人が、どう使うか——それだけの話だ。

SNSもまったく同じだと思っている。

SNSという道具は中立だ。それを過激な情報の増幅装置にするのも、人の魅力を伝える場所にするのも、結局は「誰がどう使うか」にかかっている。


私が目指すSNSの使い方

私はSNSコンサルタントとして、製造業や中小企業の社長さんたちのPRや採用・集客を支援している。

その中でずっと大切にしていることがある。それは、「その人の魅力が伝わるSNS」を作ることだ。

炎上狙いじゃない。バズ狙いでもない。過激なコンテンツでもない。だから、視聴回数が爆発的に伸びることはないかもしれない。でも、それでいいと思っている。

1万人に薄く届くより、100人に深く刺さるほうが、ビジネスも、人間関係も、豊かになると信じているから。

コアなファンができたとき、そこに本当の信頼関係が生まれる。「この社長さんが言うなら信じてみよう」「ここで働いてみたい」「この会社の商品を買いたい」——そう思ってもらえる関係は、数字では測れない価値がある。

SNSを「一緒に良いものを作っていく場」にしたい。発信者と受け手が、互いに影響し合いながら、少しずつ良い方向に進んでいく。そういう使い方が広がれば、SNSはもっと良い社会のための道具になれると思っている。


悪いニュースに引き寄せられる気持ち、私にだってある。でも、それに飲み込まれたくない。関市の刃物職人が、一本の刃に誇りと技術を込めるように——私は一つひとつの投稿に、人の魅力と誠実さを込めていきたい。

それが、私のSNSに対する答えだ。

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